いいから黙って抱きしめろ。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

今日のブログは二部構成。(後半書いたよ)

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やあやあ。わたしです。(本日2度目です。)

 

 

今日は初めての試みをしてみようかと思います。

(帰ってきてこれを書いています。) 

 

わたしには大事な素敵なお友達が、たくさんいます。

 その中のひとりが映画に誘ってくれました。

 (ありがとうね。)

 

なのでこれから桜坂へ。うふふ。

 

 

 

久しぶりの誰かと観る映画だなぁ。

 

 

今日はその映画を観た後に感じたことを書いてみようかと思います。

 

 

 

実は、わたしは人を誘うのが苦手です。

 

意外と思われることが多いけれど。

 

 

(ちゃんとお誘いできるようになりたいなぁ。)

 

 

 

ではでは、早速ですが、映画が終わった数時間後に会いましょう。

 

 

 

それではきっと、またあとで。←new!

 

 

 それでは、よっと…

 

 

お待たせしました!!!!

 

 

 

 

えー。こほん。観てきました。久しぶりの桜坂にて。

 

『湯を沸かすほどの熱い愛』

 

いやー。宮沢りえさんよかった。

 

 

本日は

「何か映画を観に行こう。」ではなく、

「なりかさん、一緒にこれを観に行こう。」というお誘いでした。

 

 

前々から予告をちらちら見ていたので、気になっていた映画。

 

でもきっとひとりでフラッとは観に行かなかったかもなあ。

 

ありがてぇ!ありがてぇ!

 

 

主演の宮沢りえさんも長女役の杉咲花ちゃんも結構好きな女優さんだったので

 

シンプルに楽しみだなあと観ていたら、

 

 

もうやられました。

 

 

 

わたしは好きなタイプの映画だったなあ。

 

 

 

 

あらすじはざっくりと

余命2ヶ月の母(宮沢りえ)が、死ぬまでにしなくてはならないことを

大きく、深く貫いていく家族の愛の映画。って感じかな。

 

 

 

 

自分で立ち向かう勇気と強さ

受け入れて抱きしめる愛

許しと、切望

 

みんな大きく、深く、強い愛に包まれていました。

 

 

世界共通だと思うのだけれど

 

やっぱり母の愛は強い。

 

 

最後は全然重くなく、いい意味でイメージ通りのすっきりとした終わり方でした。

 

素敵な時間でした。ありがとう!とう!

 

いやー、しかし。仕事終わりに映画っていいなあ。

 

 

 

観終わったあとのふつふつとした熱を

冬の夜風が中和してくれて気持ちよかったです。

 

 

 

 

 

いま、わたしは悩んでいることがあるのだけれど

 

いろんな形で、いろんな角度で

確信に近いな。ってことは

 

 

「眼の前に居る、わたしを必要としてくださる方へ、
 心を込めて、技術を伴って、できた産物を差し出したい」

 

ってところだと思います。

 

(もうちょっとシンプルに書きたいなあ)

 

 

 

いま、目の前の人をしあわせにしたいと思えて

それができて。

尚且つそれができている自分自身がすき。

 

 

な、状態ってスーパー無敵。

 

(いいなあ早くわたしもそうなりたいぜ)

 

 

 

 

仕事でも、家族でも

行き着く先はそうだったらいいなあ。

 

 

 

 

漸くインプットできる心の余白ができた気がします。

アウトプットだいじ!そこからのインップット大事!!!!!

 

 

 

 

さてさて、今日は変動的なブログ(初の試み)となりましたが

お付き合いいただきましてありがとうございました。

 

 

 

変化する未来を、意志のままに泳ぐために

いま、丁寧に深呼吸をしよう。

 

 

 

手放したその先に残るものが

純度の高い愛だといいな。

 

 

読んでくださってありがとうございました!

 

 

それではきっと、また明日。

育てることで育てられている。

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猛烈に、眠たい。

 

 

 

今日は日付を跨ぐ更新になってしまってごめんなさい!

 

眠い目をこすりながら、

 

いちゃいちゃしたがっている上瞼と下瞼を引き離しながら

 

踏ん張って書いているぞまだ朝じゃない。。。よね。。。(小声)

 

 

 

 

 

 

今日は久しぶりに、自分が撮ってきた撮影データを上司に見ていただきました。

 

わたしのカメラマンの上司は撮影のお仕事以外にもいろいろしているので

 

なかなかにデータを見ていただくタイミングが少ない。です。

 

 

でも、今日はチャンスがあって滑り込んでみました。らば。

 

 

 

 

細かく丁寧に、いろいろとアドバイスをしてくれました。

 

ありがてぇ!ありがてぇ!

 

 

 

褒めてもらえるのは嬉しいなあ。

 

子どもかよって思われるかもしれないけれど、

会社で撮影した写真は基本的にそんなにカップル以外の目に触れることはないので

リアクションがもらえるというのはわたしにとってものすごく嬉しいことなのです。

 

 

前の会社にいたときも

 

「この仕事は基本的に褒めてもらえる仕事ではないよ。

停滞は衰退。

何も言われないってことは、まあいいってことなんじゃない」

 

みたいに言われていました。

 

 

 

でも、今の会社は、わたしの撮ったデータを見て、

リアクションがもらえる。

 

後輩くんと並べて比較もされたけれど(緊張する)

 

比較させて、何が違うのかを自分で考えさせるって、すんごく成長できること。

 

 

 

 

具体的な指導がもらえるって

 

わかりやすいなあ。

 

 

けれどそれは、会社にいるから。

 

 

会社にいる後輩たちは、とっても大事な存在なので

 

傷つかないように守りながら育てたいのだけれど

 

 

 

守るだけが教育じゃないよね。

 

 

 

 

 

転ぶとわかっていて転ばせて

 

自力で立ち上がるのを信じて待っていて

(そこでそばにいるよ。ちゃんと見てるよ。って伝えるのも大事)

 

立ち上がれたら抱きしめてあげられるような

 

そういう育成ができたらいいなと思っています。

 

 

 

 

どんなに写真撮影のスキルがあっても

 

奇跡の一枚が撮れても

 

 

求められるクオリティを安定供給できて、お仕事だと思うのでありまする。

 

 

普通に考えたら当たり前のことでも

 

案外忘れがちなことなので戒めも込めて書き残し。。。。。

 

 

 

 

だめだ、あかん。

 

 

 

脳内に加瀬亮が迎えに来ている(新入り)

 

 

 

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

(更新が遅くなってしまってごめんなさい!!!!)

 

 

あなたの明日が、小さくも尊い幸せに支えられていますように。

 

 

 

 

 

脳内の加瀬亮…メガネかけているといいな(はあはあ)

 

 

 

 

 

それではきっと、また明日。

「決める」ことに囚われない。

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「自分で決めたことだから。」

 

 

そう言って歯を食いしばる彼女たちの横顔を

 

何度 美しい と思い、眺めてきただろう。

 

 

決断は美しい。

 

決心も美しい。

 

 

 

例えば

 

やる、と決める。とか

 

例えば

 

やらない、と決める。とか

 

 

 

 

例えば

 

逃げない、と決める。とか

 

 

いっそ

 

逃げる、と決める。とか。

 

 

 

 

長いものに巻かれず、自分で決めるということは

 

誤魔化せない己の弱さと向き合ったり

 

有耶無耶にしてきた過去を見つめ直したりすることかもしれない。

 

 

 

ちょっとしんどいけれど、その先に望む未来があるような。

 

決心をすることは、きっと美しい。

 

 

 

 

と、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな風に思っていたのです。わたし。

 

 

 

 

すこし前まで。

 

 

 

 

 

 

ふと改まって思って気づいたのですが

 

 

例えば

 

 

「時間を意識して動く」とか

 

「見ないフリをしていた自分を見過ごさない」とか

 

「何があっても責任は自分が取る」とか

 

あるいは「毎日ストレッチをする。」とか。

 

 

そういう決め事って

 

 

表面の聞こえは格好いいものだけれど、

 

ともすれば

 

 

「決めたことによって、耐えている自分カッコイイ。」

 

になってしまっているかもしれないなって、

 

 

ふと気づいたのであります。

 

 

 

これはちょっとした、わたしなりの発見。

 

 

すごいなあ。

 

 

 

囚われていたのは、わたし自身の意志だったのだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

やらなくちゃいけないことなんて、なんにもない。

 

 

決心も、決断も、それに囚われる必要性なんてどこにもないよ。

 

 

 

 

 

 

気を張ることも悪くないし、歯を食いしばりながら耐える姿勢も時に美しいと思う。

 

 

 

けれども、そういう自分で在ること「そのもの」には、

 

 

きっとあんまり意味はないんだなあ。

 

 

 

 

 

 

なぜだか肩の力が抜けるように気づけた冬の夜なのでした。

 

 

 

 

上手に噛み砕いて書けないのがちょっと悔しいけれど

 

 

そういう食いしばったりしてきた過去のある人が

 

もうそれを乗り越えることができたのであれば、ね、

 

 

ニュートラルな自分でいることを、選んでいいのだと思うよ。

 

 

 

 

 

日に日に寒さに拍車がかかりますね。

 

 

 

冷えた手足のその冷たさに耐えるあなたの

 

 

こころが深く穏やかでいるのを、美しいと思うよ。

 

 

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

 

それではきっと、また明日。

 

 

例えばこんな日。

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人と関わると、いろいろな見解に触れることができて、いい。

 

 

と思う。

 

 

わたしに投げてくれる言葉は

基本的にわたし宛だから

 

その人の貴重な時間をわたしにもらえて

嬉しい、と思う。

 

 

 

 

 

けど、ちょっといろいろなことがあって

 

 

 

刺さったというか

 

うん、

 

消化できなさすぎて

 

 

 

なんと、今日は、中身を持ってこれを書けない。

 

 

という結論。

 

 

 

1日2日じゃ、あの時の言葉は、こういう意味があったんだなぁとか

 

 

その人なりの考え方があって、なるほどな。と思ったよ。とか

 

 

 

アンサーを出すのが難しいなと、思う。ことがあった。感じでござる。

 

 

 

 

 

いいかな、たまにはこんな日。

 

 

いいよね。多分。リアルな感じ。

 

 

 

という逃げにして、クローズします。ごめんなさい。

 

 

 

 

順調に進むってのが続くと、

 

つまづくこともあるってことを忘れそうになる。

 

 

 

危なかったなぁ。

 

 

 

 

朧げすぎて、ごめんね。

 

 

 

今日もここに来てくださってありがとう。

 

 

 

明日はきっと元気になるね。

 

 

 

 

それではきっと、また明日。

 

「バランスを取る」に惑わされないこと。

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高校を卒業する頃わたしは、国語の先生になろうと決めていました。

 

本を読むのはあまり多くはなかったのだけれど(今も少ない)

 

国語の「授業」がだいすきだったからっていうのが

 

直接的な理由だったように覚えています。

 

(今日はそんなリアルな職業選択のお話を

ブログの入り口に。よければお付き合いくださいませ。)

 

 

 

そうしてこうして

教員免許が取得できる普通の大学に入学して

 

教職課程を取っているわたしでしたが

 

2年次の前期の終わりに、ふと

 

「あれ。わたしこれ生涯の仕事にできない。」

 

ということに気づいてしまいます。

 

 

 

そこからは、いろいろと迷走をしました。

 

(この内容は「前のブログにも書いた」& 「ちょっと長い」ので割愛しますが

興味のある方いらっしゃったらまた書きますので仰ってください…ごにょごにょ)

 

 

ごほんごほん、続けまして。

 

 

 

紆余曲折あってわたしは卒業後、

めでたく今の「ウェディングフォトグラファー」という仕事に出会うことができました。

 

 

 

(一旦離れて、またこの仕事に戻ってきた話もちょと長いので割愛しますね。

ご興味のある方がいらっしゃいましたらどうぞ聞いてくだs(以下略)

 

 

 

ごほんごほん、

 

(二回目)

 

さて。話を戻します。

 

 

 

 

考えてみるとそもそも

国語の授業が好きだった理由は

言葉の持つ力の魅力に惹かれたからだと思います。

 

言葉の持つ魅力ってなんだろう。と考えてみると

 

 

わたしの場合多くは「発見」と「共感」のような気がするのです。

 

 

 

わたしは詩が好きだったので、短い文章の中にそれら見つけては

 

ドキドキ・ワクワクしながら

 

教科書を読んでいた記憶があります。

 

(なんかこれ売れないシングルタイトルみたいですね)

 

 

 

 

・小さな発見に気づく力があるか。

・小さな出来事に対して共感する力があるか。

 

 

この力があるだけで

人生はかなーり豊かになると、わたしは感じているのです。

 

 

 

 

前置きが長くなってしまったのですが、

今日はその、わたしのすきな

「言葉」と「写真」のバランスについて

思ったことを少し書いて、寝ますね。(寝るんかい)

 

 

****************

 

 

写真が好きです。

瞬間の中に

「好き」も一緒に閉じ込められるような気がするから。

 

 

 

言葉も好きです。

 

思いは共通言語となって、届くと思わせてくれるから。

 

 

どれも、世界の美しさを伝えてくれる気がするから、素敵で、好きです。

 

 

 

でも、写真を好き勝手に撮って

そこに言葉を寄り添わせたときに

 

わたしはそのバランスを取ることに悩むことがありました。

 

 

 

いい写真に言葉はいらない。

いい言葉に写真はいらない。

 

 

ずっとその 「ふたつの好きなもの」のバランスが取れずに

ひとりで勝手に悩んでいました。

 

 

 

でもふと、いまこれを書き始めて

わたしの中でなんだか答えがでた気がするので、ここに書きます。

 

いいですか、

 

言いますよ。

 

 

 

 

 

 

「ぶっちゃけどうでもいい。」

 

 

 

以上。(ちょっ 生卵は投げないで…!)

 

 

 

写真だけがあってもいいし

言葉だけがあってもいい。

 

写真にタイトルがついていてもついていなくてもいいし

詩のようなものが添えられていても別にいい。

 

 

そのふたつのバランスを取ることに惑わされないこと。

 

 

それだけを忘れていなければ

 

何をやってもいいんだと わたしに対して思えたのであります。

 

 

 

 

どうですかこの前置き長い割に本題めっちゃ短いブログ。笑

 

 

わたしはきらいじゃないですよ。(ゲス顔)

 

 

 

バランスは取るものじゃなくて、「結果取れてる」ものになったら素敵だなあ。

 

 

そこに辿り着くまでにグラグラしているのも悪くないんじゃないかなわたしよ。

 

 

よし、書きました。

 

 

 

脳内で綾野剛がベッドに誘ってくるので行ってきますね。(台無し)

 

 

 

 

本当に最後まで読んでくださってありがとうございました!!!!

 

 

 

それではきっと、また明日。

 

 

 

 

(見捨てないでね!笑)

エネルギーの行く先。

 

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後輩の愚痴を聞くために大戸屋にいた。

 

女の子の相談ってのはそのほぼ9割位が

 

「とりあえずまあ話に同調してほしい。」

 

 

って類のもので

 

そこに聞き手の意見なんかは不要だったりする。

 

 

けれども稀に、解決をしたくて

「他者」としての立場からの意見を求められることもあるので

「聞いてみないとわかんないよな」

のスタンスで聞き始めたりしますた。

 

 

とは言え。

大体の場合聞いてほしいだけなので

 

今日もうんうんとその役割に徹します。

 

 

 

話の中から解決の糸口になるかなーと思って意見してみても

 

思った通りそれは求められていなかったので

 

適当に相槌を打つと「えーでもぶっちゃけどう思います?」

 

が返ってくる。

 

 

「でも」、のオンパレードにも付き合ってみたりする。

 

じゃあこの角度から見てみたら?

 

えーでも。

 

そうしたいんだったらそうしてみても大丈夫じゃない?

 

そうですかねー?でも恐いです。

 

 

 

 

めんどいわ!おんなかよ! (おんなだわ!笑

 

 

 

 

いやー。。。。もう。

 

時間返せしてよおお。ってなったりもするんですが

 

会社に彼女の愚痴を聞くような立ち位置のひとがいないかなーと思っていたので

 

ここはわたしが頑張らなくちゃしょうがないな。と

 

 

 

腹を括ってい…たら。

 

 

 

 

 

 

 

聞けば わたし以外の他のメンバーにも殆ど同じこと話してるじゃないですか。

 

 

 

 

マジでなんやねん!状態でした。笑

 

 

この時間で何枚現像できたよ。。。。とか考えてしまうあたりで女性としてどうかとも思いますが。笑

 

 

やっぱり人であれ、コトであれ、上手に距離を取らなければ

 

 

見えづらい「自分のエネルギーの有限性」を

 

蔑ろにしてしまうのだなあと改めて思い知らされました。

 

 

本当に気をつけよう。

 

気が緩むとすぐ同じこと繰り返すからわたし。

 

 

 

 

 

自分を大事にできないひとは、

人を大事にできないっていうのは本当だなあと思います。

 

 

 

何年経っても油断するとこういうことになったりする。

 

 

大事な人や好きな人と過ごす時間を多く持つためには

きちんとバランスを取らなくてはならないなあと再確認した夜でした。

 

 

 

 

さてわたし。

 

 

 

 

 

エネルギーをもらうことはなんだろう?

 

エネルギーを消耗(あまりいい意味ではなく)してしまうことは?

 

いま、こころを豊かにしていることは?

 

それらとの時間を充分に持てているかい?

 

 

 

良くない自分になっているときは、何度も自問自答しよう。

 

 

 

 

 

自分をしあわせにするのは自分だ。

 

 

悔しいけれど、何度でも言おう。

 

 

 

 

偶然鉢合わせた友人のカメラマンさんの奥様に

 

はじめまして!のご挨拶をすると

 

向こうがわたしを知っていてくださいました。

 

「写真展されていました?気になっていましたー」

 

 

う、うれしい。。。。。。

 

 

見つけてもらえるひとと出会えたときに

心から自分がすきで居られるように在りたいなあ。

 

未完成なりに、そのままのわたしで。

 

 

 

 

だめだ。上瞼と下瞼がいちゃつきたがっている。

 

 

今日もこんなアホみたいなブログを最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

今宵は推敲なしの更新よ!!!

 

 

すまねえ!!!

 

 

それではきっと、また明日。

 

 

 

時間さま偉大なり。偉大なり時間さま。

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一瞬だった。

 

車ですれ違う、そのほんの一瞬。

 

お互いが、目が合って

あ!ってなるような、

そんな一瞬。

 

 

去年はたくさんの出会いもあったけれど、

別れもあったよ。

 

わたしの中では、結構大きいもの。

 

 

これについて話すと悲しい気持ちになるからこれ以降もう、話さないと思うのだけれど

 

 

 

今日ね、車で。

ほんの少しの瞬間すれ違った時に

いろんな気持ちがぶわあああああって溢れてきて

涙がぐわあって込み上げてきて

頑張って堪えた。

 

 

 

でもわたしは目が合って、嬉しかったんだ。

 

 

 

ここ最近、ほんと、30過ぎてからのこの1年で

確信のように思うことがひとつあってね。

 

 

それは

 

 

「会う、に勝るはない」

 

ということ。です。はい。

 

 

これは過去にわたしが遠距離恋愛をしていた経験が多いからかもしれないのだけれど(笑)

 

 

 

想像力は思いやりだって思うし、

それこそ愛だって思うけれど

 

 

矛盾としてではなく、それと同じくらいに強く

 

 

「会うに勝るはない」ってこともわかった。

 

 

だから、だと思う。

 

 

 

 

元気かなって、心配だったけど

 

 

一目会えるだけで、ぐわあって気持ちが込み上げたよ。 

 

 

 

会えないかなーって思っててよかった。

 

 

 

 

 

なんだかうまく、説明できないんだけれど、

とても嬉しかった。のであります。はい。

 

 

 

 

 

 

会いたい人には会いに行こう。

偶然会えて、心が動いたら

約束をして、会いに行こう。

 

 

 

 

 

今日も、わたしの会いたい人でいてくれてありがとうございます。

 

 

 

あらゆる距離を超えるのは意志だね。

 

 

 

あなたの明日もいい日でありますように。

 

 

 

 

それではきっと、また明日。