いいから黙って抱きしめろ。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

比較の中に本質はない。(と思う)

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何かに悩んだり

決めなきゃいけないときは

いろんなことを考えると思うのですが

 

 

このままでいいのかな。

こっちとあっちだったら、どっちがいいだろう?

どうあるべきだろう。

 

 

 

とかって悩む人の話を聞くことが多いここ最近

 

よく思うことがあります。

 

 

 

 

 

それは

 

 

「比較の中に本質はない」ということ。

 

 

 

 

比較するというのは

物事の良し悪しを決める時に

結構、やりやすいことかなぁと思うけれども

 

 

結局のところ、そこに

本質はないのではないかなと、思うのです。

 

 

実はこれは

わたしが悩んだ時に思ったことで

 

 

誰かや何かと比べて

羨ましくなったり、虚しくなったりするっていうのは

その比較対象に意識がいっているだけで

 

案外問題の本質から逃げていたからなんですよね。

 

 

 

あの人と比べたら自分はまだ幸せな方だと思う。とか

 

あの環境よりはマシだからとか

 

 

 

言い出すとキリのない比較を繰り返しても

 

 

そこに見るべき本質はなくて。

 

 

 

そんなものは比較する対象が変われば

コロコロと答えを変えてしまうと思うのです。

 

 

 

 

 

(でもその問題の当事者だったりすると

 

つい視野が狭くなって

 

比べることで答えを出そうとしてしまうんだよなぁ。)

 

 

誰のことでもなく、自分の話しですね。

 

 

 

 

 

何にしあわせを感じて

 

どんな状態の自分がすきなのか。

 

もし、そうなれていないのならば

 

その原因は一体何か。

 

 

そんな風に本質と向き合いながら

 

問題の根本から逃げないように

答えを導き出していけたらいいなぁと思っています。

 

 

 

真面目か!(真面目だ!)

 

 

 

 

実はね、最近ブログを書きながら

 

ああ、なんかこう、説教じみてないかな…とか

 

うわぁわたし上から目線じゃ…?

とか

 

読む人は不快に思わないだろうか。とか

 

 

考えたりもします。

 

 

 

けれども。

元はと言えば、変化するだろうここ3ヶ月ちょいのわたしの思考を書き出すことで

 

 

 

ああ、こんな風にこいつも悩んでんだな、とか

 

なんだ、そんなもんでいいのか、とか

 

ほーう。そう考えますか。

 

とかって

 

 

どこかの誰かに届いてくれたら

それもそれで 結構嬉しいなぁと思いつつ

 

 

思いつつもですよ?

 

 

なんだかんだで

 

思考の整理を含め、自分のために書いているものなので

 

もっとリラックスして

すきに書いても良いんだろうなと自己解決しましたなう。(長い)

 

 

なので、結構リアルに。

 

今日もこんなくだらない自己満足のブログを読んでくださって、ありがとう。と思っています。

 

 

ありがとう。

 

 

 

届くといいな、の相手が

結構未来のわたしなのかもしれないけれど

 

 

どこかでこれを読んでくださっているあなたの元だとしたら

それもすごく嬉しく思うのであります。

 

 

会いに来てくれてありがとう。

 

 

明日も笑って会えますように。

 

 

それではきっと、また明日。

 

 

 

 

繋がりをありがとう。

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わたしの会社はBtoBの会社です。

 

なので、直接お客さんから

「あなたに撮ってほしくて」

とか

「この会社のテイストで撮ってほしくて」

みたいな形でのご依頼はなくて

 

「この場所で撮りたいのでお願いします」

 

で、どんなカメラマンが来るかわからないまま当日を迎えます。

 

なので撮影が終わった後も、その時のカップルと連絡を取り合ったりすることができません。

 

 

 

でも、有難いことに

「あのとき写真撮ってくれたカメラマンさんの個人アカウントとかないですか?」

とか

「あのときのカメラマンさんに披露宴本番も撮って欲しいのですができますか?」

とか、言ってもらえたりします。

 

むちゃんこ嬉しい!

 

 

 

 

 

昨夜、それとはまた違うのですが、

ご縁あって撮影をサポートさせていただいたカップルがまた沖縄に遊びに来られるとのことで、

 

「なりかさんよかったら会えませんかー?」と声をかけてくれました!

 

 

 

 

うううう嬉しい!!!!

 

 

 

 

撮影がキッカケで繋がりをもてる。

 

その繋がりを続けていける。

 

 

本当に本当に嬉しくて

ありがたいなぁと思います。

 

 

 

わたしも早く名前で仕事が出来るようになりたいなぁ。

 

 

 

と、昨夜は楽しすぎて更新が出来ず、翌日になってしまったわたしを許してちょんまげ。

 

 

 

朝なのでテンションがむちゃんこ高いです!

 

 

沖縄の2月を貼り付けて逃げますね。

 

 

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iPhoneクオリティ!

 

 

 

それではきっと、また今夜。

「望まれる」と「望む」の間で。(其の二)

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冬になると

「サムイ」と「サミシイ」を混同しがちになるから、

ちゃんと気をつけたい。

 

 

自分が何に意識を置いているのか、

気をつけておかないと、あっという間に楽な方へ流れていったりもしてしまうから。

 

 

楽な方へ、流れるってことはね

それはそれできっと いけないことじゃあない。

 

 

 

一緒に居て、「あぁ楽だなあ」と感じることができるひとと

同じ時間を過ごす。っていうのは

穏やかな多幸感に包まれたりするしね。

 

 

でもわたしはまだまだ自分に甘くて、弱い人間なので

 

 

ちゃんと意識しないと、つい、つい。

 

 

求められる方へ、漂ってしまったりもしてしまうのだ。

 

 

 

求められる、というのは

素晴らしいことだと思う。

必要とされていない人なんて、いないってことはわかっているけれど

 

「キミが必要だ!」と示してもらえるのは、すごくね、素敵なことだと思う。

 

 

だから、その居心地の良さを求めてしまうことを

完全に否定はしたくないのだけれど

 

 

それが弱さからの逃げによるものだとするならば

ちゃんと、注意が必要なのです。

 

(わたし宛のね、言葉ねこれ。)

 

 

 

 

必要とされるから、居る。のではなく

わたしがそこに居たいから、居る。

 

で、ありたいなあ。

 

パートナーであっても、仕事であっても、友人であっても。

 

 

何かに責任転嫁をしなくても、

何かに言い訳をしなくても、

 

 

その道を望んだ自分を、ちゃんと抱きしめて進んでいきたい。

 

 

そういうわたしでいたいものです。

 

 

 

 

今日は結構、健やかな気持ちでいられているので

ブログの内容がライトな感じです。

 

 

これはこれで、なかなかによいなあ。

 

 

 

 

 

軽やかな気持ちのまま、眠ってしまおう。

 

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

 

 

寒さに拍車がかかるけれども

背筋を伸ばしていこう、ね。

 

 

それではきっと、また明日。

 

頑張らない方法。

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求められると嬉しいし

 

応えたい気持ちがあるわたしは

 

つい、つい頑張り過ぎてしまう、らしい。

 

 

らしい。と言うのは、どうもあまり自分自身にはその自覚がなくて

 

 

余裕がなくなったり、疲れてしまった後に気づくパターンが多いから。

 

 

疲れてる時や、優しくできないときに言われる、と言うのは殆どの場合なくて

 

 

優しい人に

「もう少し肩の力抜いたら?」

とか

「そんなに頑張らなくてもいいよ」

とか

「要領よくやりな?」

とかって言葉をかけてもらえて、はじめて気がついたりすることが多い。

 

 

これってわたしあるあるかもしれないのだけれど、

絶対に、「わたしだけ」ではない事柄だよなぁと思う。

 

 

そういう、周りにもいる、つい「頑張り過ぎてしまう人」っていうのは

一体どういう風に自分をコントロールしていっているのだろう?

 

 

どこかのタイミングで自覚をして、

そういう事柄との対応方法を自分なりに会得しているのかなぁ。

 

 

 

考えることが嫌いではないわたしは、結構こういうことに立ち止まったりします。

 

 

考え過ぎだよーとか

疲れない?とかって言われるよりも

 

考えることによって、自分なりの答えが見つかることの方が嬉しいし(それに固執してしまうのはよくないと思いつつも)

 

「実はこんなこと考えてるんだー」って言うことで

他者からの見解を聞けたりする方が有難いので

 

ただなんとなく生きるよりは、自然に出会う疑問符に、

都度都度対峙できるわたしでいたいと思います。

 

 

 

まだいける。って思うことは素晴らしいけれど

 

アラサーなりに、「ちょっとここで一旦休憩」

みたいな腰掛けるタイミングを

作れる大人になりたいなぁ。

 

 

 

今夜は都心では雪が降ったみたいですね。

 

 

沖縄も沖縄なりにむちゃんこ寒かったです。心の中では雪合戦できるレベルだと思っています。

 

 

 

いつも、こんな下らない個人の日記ブログに、足を運んでくださって、本当にありがとうございます。

 

来てくれる人にお茶を出しながら

ちょっとゆっくりしていきなよーって出来たらいいのになぁ。

 

 

今日も会いに来てくれてありがとう。

 

 

それではきっと、また明日。

 

プロとアマの違いって何ですか?

 

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今日はご依頼戴いてある友人を撮影させてもらいました。

そのあとその子たちと一緒に

ご飯を食べていると ふと

 

「プロとアマチュアの違いって何だと思いますか?」

と尋ねられました。

 

 

うーん。

 

プロとアマの違い、か。

 

昔結構、考えたりしたなあ。。。。

 

 

これだ!っていう正解はわからないです。わからないんですけれど。

それを今のわたしなりの解釈で話すならば

 

 

「自分に求められることを理解し、それを安定供給できること」

かな。と思うのであります。

 

 

まず、第一に求められるものを持っていることが前提で

それをきちんと 求める人へ差し出せる状態にある。

そしてそれは安定して提供できる状態にある。こと。かなあ。

 

 

 

でもこれって正直 人それぞれの解釈だよなあ。

 

 

 

 

 

いまのわたしは、こう考えているけれど、

少し先のわたしは違っているような気がします。

 

 

なんだろう。その先にちゃんといたいと言うか。

自信を持ってネクストステージに立っていたいです。

 

 

プロとアマの違いって、何だと思いますか?

 

 

尋ねてくれた友人は奏者さんだったのだけれど

わたしはその質問に対して

前よりは自然に答えを出せた気がするなあ。

 

 

 

そういえばNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」とかも結構すきで

Twitterbotの呟きも、思えばよく見ていました。

 

デザイナーや、料理人、外科医、経営者とか

その時特集された人に最後に聞くやつあるじゃないですか。

 

「プロフェッショナルとは?」

って。

 

それのアンサーが書かれているのですが、

これが結構面白いのです。

 

何が面白いって、やっぱりそれは当たり前のことなのですけれど

職種によって返答が違うんですよ。

 

クリエイティブ系は近しい返答なのかなーと思いきや

看護師さんの言葉に「これリアルタイムに今のわたしだ!」

と共感したり。

職人さんの言葉に孤独を見たり。

サッカー選手の言葉にエンターテイメント性を見たり。

 

 

非公式らしいんですがなかなかふむふむできるので良かったら。
回し者じゃないよ!笑

twitter.com

 

 

最近、なかなかにゆったりとした自分の時間を取ることが

上手に出来ていないような気がします。

 

 

忙しいことはきっと良いことなのだと思うけれども

めまぐるしい毎日の中で、きちん、きちんと

立ち止まれていないような気がするのです。

 

良くないなあ。

 

 

自分の時間を、自分でコントロールできるようにいようと思います。

 

だってこれはわたしの人生だから。

 

 

今日も今日でパタパタしたなりに楽しい1日でした。

そう思わせてもらえる環境があるって、有り難い。

って気持ちは失わずにいたいものです。

(それで本質を見失わないようにもね)

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

寒くなってきたから、暖かくして過ごしてくださいね。

 

 

 

それではきっと、また明日。

ピュアな人。

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ちいさな出来事に

どれくらい立ち止まれるだろう。

 

 

幸せに対して、穏やかに、柔らかに

 

ああいいな。素敵だなって

 

そんな風に考えてたら

なんてことない毎日でも

結構豊かに生きられるのだと思っているのであります。

 

 

でも、ある日

そんなことを友人に話していたら

 

「小さなことに気づけている人って、もちろん些細な事に傷ついたりもするよね」

 

と言われてしまいました。

 

 

 

 

 

ぐ、

 

 

 

 

ぐさああああああああああああああああああ!

 

 

 

 

 

最近は、ピュアな人のむき出しのひとことに、

ざっくりやられることが多い気がします。

 

 

 

 

 

ある日、わたしにしてはそう珍しくはないことなのですが

とある人の愚痴を聞いていました。

 

その場にいた他の人の少し気まずそうな顔見てわたし

 

 

「愚痴を聞くのもわたしの立場的に必要な仕事だからさ…(苦笑)」

 

 

 

 

するとその人曰く

 

 

 

「じゃあなりかさんの愚痴は誰が聞くんですか?」

 

 

 

 

 

ぐさああああああああああああああああああ!

 

 

 

 

 

 

ピュアな人の力って、ピュア故に、強い、ね。。。。

 

 

 

わたしの愚痴か、(遠い目…

 

 

 

 

 

いかん。日付が変わってしまう。

 

 

 

一旦ご飯食べてきます。

 

 

今夜はカレーよーーーーーーーーーー!!!!!!!

 

 

 

ただいまーーーーー!!!!(テンション)

 

 

 

 

ピュアな人って括り方はずるいなぁとか思いつつも

 

わたしがピュアじゃなくなったのって

たぶん、傷つきたくないなって気持ちが

自分が可愛いって気持ちが優ってしまってからなのだと思うのです。

 

 

ピュアな人に、そういった気持ちがないと言いたいわけではないのだけれども

 

 

ピュアな人って

欲、にしても

シンプルな人が多い印象なのです。

 

 

いいなぁ。ピュアな人。

わたしもシンプルに、生きられるようになりたいな。

 

 

 

あんな時間にカレーを食べてしまったことを

今、ピュアに後悔しています。

 

 

 

時に天然とも言われてしまうような彼らのことが

 

わたしはなかなか、好きなのです。

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとう。

 

 

その両の手に持っている重い荷物も

一旦置いて、軽やかに踊ってみてもいいかもね。

 

 

それではきっと、また明日。

 

優しさと他者への関心の低さについて。

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「やさしい人が好き。」

なんて言うことを

異性の好みについて話すときに、それなりによく聞く。

 

 

先日、とある男性と話す機会があったのだけれど

そのとき、彼は その「やさしい人」っていうのは

ちょっと危うさを孕む可能性がある。

ということを教えてくれた。

 

 

 

やさしいってなんだろう。

ってところがまず、定義付けしづらいのだけれど、

 

 

そうだなあ。

「そんなに怒らない」とか、「受け入れてくれる」とか

ざっくり言うとそんなところだろうか。

 

 

けれども、

それはもしかすると

「他者に対して関心が低い」ってことと類義しているかもしれないよ。

と、

その人は教えてくれたのだった。

 

 

なるほど。と、ふむふむした。

 

 

嫉妬したり、束縛したり、っていうのは

正直するのもされるのもしんどい感情だし

期待したり、落ち込んだり、っていうのも

感情がもってかれちゃうからお腹いっぱいは いらないな。って思ったりする。

 

 

何よりそれは疲れる。

 

 

 

けれども、

できればそういう感情とも

上手な距離感で関わっていけたら素敵だし、

分かり合えない他人と関わる。ということも

それはそれで人生に於いてすごく

尊いことだとも思うのであります。

 

 

 

 

 

 

そういえばわたしは過去に、

「人に期待しない」というタイプの人と

お付き合いをしたこともあったのだれど

 

その人はどちらかと言うと、生きるためにそういう思考を会得した。

っていう印象のひとだったなあ。

 

 

 

 

お誕生日プレゼントも買わないし、欲しくない。

期待値を下回ったときが大変だから、そもそも他人に期待しない。

 

みたいな。

 

 

はじめのうちはそれはまあそういうタイプの人なんだな。

程度に思っていたのだけれど

付き合うにつれて

「あ、この人はわたしや、わたし以外の他の人よりも、

 自分自身にしか興味がないんだな」

と感じていってしまってなんだかすごく寂しかったのである。

 

 

 

 

 

無いものは、ある、にできないし

ゼロからイチを生み出すことは、やっぱりすごく大変。

 

 

 

でも、だからこそ、

 

そういう「淡白」タイプの人から浮き上がる表層部分のものではなくて

誰かの痛みや苦しみに寄り添えるような種類の優しさを

 

きちんと見られる人でいたいな。と

改めて思った夜なのでした。

 

 

 

 

沖縄ではいま、コスモスが見頃です。

 

 

 

摘んで帰ったら、キミは喜んでくれるかもしれないって

 

そういうやさしい微笑みをたたえるひとであれたらなあ。

 

 

 

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

やさしさの背後に

強さを宿した笑顔を持てたらすてきだね。

 

 

それではきっと、また明日。