いいから黙って抱きしめろ。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

ただ解決をさせたいが故の殴り書きなう。な、日。

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日々増えていくタスクをこなすために

自分のキャパシティを広げたいと思うのだけれど

 

それができていないことが重なると

悲しくなってしまう。

 

 

自分の力でどうにかできることと

もちろんわたしがどう頑張っても変えられないこともあって

 

余裕が無いと、あんまり自分の好きな自分でいられない。

悔しい。結構ずしんと、悔しい。

 

 

だから自分で自分の好きなことを理解して

苦手なことと適切な距離を取って

自分なりに生きてゆきたいと考えているのだけれど

それもそれでなかなかに難しい。

 

 

 

どうしたらいいんだろう。

 

 

 

わたしは解決がしたい。

 

 

 

嘆くのは楽だ。

できない、できるようになりたい、悔しい、歯がゆい

 

でも、だからなんだって言うんだと思う。

 

なんで出来ないのかを考えようよと思う。

 

 

 

 

だから今やります。

 

 

 

今、わたしが何故こんなにキャパオーバーになってしまっているのか

 

 

事案から逆算して考える。

 

 

仕事をたくさん抱えてしまうのは

心地よい空間を作ろうとしてしまうから。

わたしの範疇の外のものまで、困っているのを見ると

つい手を差し伸ばしてしまう。

 

でもそれは本当はわたしの仕事じゃない。

やるべき人がやるべき。わたしはわたしのすべき事柄に力を注ぐ方が本当は大事。

 

 

できない状態の後輩を

デビューできるようにサポートしたいと思うし

するべきだと思う。

でも、本人に撮りたい意志や責任感がないのなら

こちらがどれだけ伝えても響きはしない。

 

これも本当はわたしの仕事じゃない。

引き上げるのは簡単。ゴールも近づく。

でも転んで気がつくことがあるように、いつまでもデビューできないとしても

どこかでちゃんと突き放すべき。過保護反対。誰のためにもならない。

 

 

 

自分の価値を、下げてしまっているのは

他ならぬわたしなのだと思う。

 

わたしの時間はどのくらい価値のあるものなのか

健やかな心や身体からの乖離を

見て見ぬふりをしてでもそれはすべきことなんだろうか。

 

 

 

 

 

多分、いまのこれは全てわたしの弱さが引き起こしていることだ。

 

 

するべきをきちんとしていれば

大丈夫だ。

 

余裕が無いのに他のことに手を差し伸べるのは違う。

それは教育でもサポートでもなんでもない。

自分のエネルギーを安売りしているだけに他ならない。

 

 

 

人には言えるのに、自分にはいつまでたっても言えないわたしなので

今日はちょっと強気に自分に喝を入れてみました。

 

 

わたしの価値を、自分で下げない。

利用だけしようとしているひとやコトをきちんと見極める。

適切な欲を持つ。

 

大丈夫だわたし。

信じろ。未来はこっちだ。

 

 

 

 

今日はちょっと個人的にむちゃんこ凹むことがあったのですが

次元を超えたハグをもらって復活させてもらったのでした。

ありがてぇ!ありがてぇ!

 

 

 

強く生きるぞわたし。

 

 

 

今日も最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

 

 

 

健やかな思考と身体を意地を張ってでも守っていこう。

 

 

 

それではきっと、また明日!

弱虫なわたしはよく笑う。

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人の笑顔がすきな理由は

安心できるからかもしれない。

 

あなたとわたしの間に、少なくとも「いま」は

笑顔でいられる関係性が、流れていますよ。と

 

そういう、ちょっとした安心感のようなものを

思い込ませてくれるからかもしれない。

 

 

人の心はわからない。

わからないから

少しでも近づけるように

想像したり、汲み取ろうと努めたりするのかもしれない。

 

わたしは幸せの感度が高いと思うし

小さなことにルンルンできる

かなりお得な性格だ。

 

けれども同時に

些細な事に気がついてしまうこともあるから

すぐに バリアも貼ってしまう。

傷つくのは恐いし あんまり得意じゃないから。

 

 

弱いなあと思う。

強くなりたいと思う。

無理に笑わない人でいたいと思う。

 

 

大人になるっていうのは

いつ、どのタイミングでなるんだろう。

 

誰かが言っていた

「子どもに戻りたいと思ったら大人」

っていう話もすきなのだけれど

 

きっと誰しも

準備が整わないまま なってしまうのかもしれないな。

 

 

 

少しづつ、すこしづつ

 

見ないようにしてきた自分の弱さと

 

少しづつ、すこしづつでいいから

 

向き合っていきたいと思う。

 

 

きっと、わたしが笑っていなくても

わたしの大切な人たちは離れていかずに居てくれると思うし

 

 

きっと、わたしが笑っていなくても

そのままの状態が随分と自然な筈なのだから。

 

 

 

この先は

バランスを すこしづつでいいから

より心地よい方へと移していけたらいいな。

 

 

勇気もいるけれども

それよりも、信じられる方が好きだ。

自分をね。

 

 

 

雨の日に、傘を差して出かけていくわたしも嫌いじゃないけれど

雨の日に、部屋で音楽を聴きながら だらけるわたしも認めてあげたいなあ。

 

 

今年は、自分にやさしく。を、忘れないように。

ちゃんと、意識しよう。ちょっと、恐いけどね。

 

 

不安なときは、セルフハグだぜなりか。

 

力みを開放したとき

あんがい、恐怖心を手放して 海原に漂えたりもするよ。

 

信じるって、愛だ。

 

 

大きいそれと寄り添って たゆたおう。

 

 

 

今日も会いに来てくださってありがとうございます。

 

 

弱さへの自覚は

強さへの一歩だぜ。

 

 

それではきっと、また明日。

 

 

光について考える。

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最近、光について考えることがよくあります。

 

正確に言うと、

いままで全然考えていなかったんだなあということを実感していて

 

このままじゃいけない。と思って、向き合いたい始めたところです。

 

 

イムリーなことに

先日横浜でひとつ、ライティングについてのセミナーを受けてきました。

 

そしてこの間は友人がやっている機材屋さんでのライティングワークショップ。

 

 

受けるのは簡単。あとはそれを実際の場面でどう実践するか。

ですね。うん、がんばる。

 

 

わたしの写真は、瞬間をキャッチするタイプの

どちらかというとスナップ寄りの写真が多いと自覚しています。

 

 

ひとの笑顔が大好きなことと

ひとがひとを想うときに流れる空気感が大好きなことが

主にわたしにシャッターを切らせるのですが

 

仕事で写真を撮っていくとなると

その瞬間をパシャパシャ撮っているだけでは

やっぱり駄目で。

 

 

質をもっと上げるためにも

当たり前なのですが

撮りたいものを、どう撮るのか。

の質をもっともっと深めていかなくてはならないと思っています。

 

 

2年前に今の会社に入って

それまでただ「記録」として場面を撮っていた写真から

「ちゃんと、撮りたい場面を、撮りたいように残す」

ということに引き上げてもらえました。

 

だんだんそれが安定してきて

それまでただ

「枚数をクリアすることに意識を持っていかれていた」時間から

「1枚のクオリティを上げるために、どう撮るのか」

を意識してシャッターを切ることが許されるようになりました。

 

これはわたしにとってすごくよい変化でした。

ありがてぇ!ありがてぇ!

 

そして、少しだけ安定してきてからは

もっと良い写真を撮るためにはどうしたらいいか

考えるようになってきました。

 

それにはやっぱり光との向き合い方がとっても大事だなあと。

ひしひしと感じています。

 

わたしはおわかりいただいているかと思うのですが

おもいっっっきり文系でもありまして

数学とか物理とかもうちんぷんかんぷんです。

 

でも、観念してそれとも向き合わないと…いけないな。と

光について考えると突きつけられてしまいます。

 

自然光との向き合い方と、

ストロボ等を使って組み立てていく方のライティング。

 

どちらもとっても大事なことなので

ここしばらくはそれを意識して、動いていこうと思います。

 

 

でも沖縄の光ってとっても難しい。。。

ロケフォト撮りながらだとコロコロ変わる光に露出を合わせて

撮っていくことにも結構いっぱいいっぱいになってしまう。。。

でもでも

瞬間的にもシャッターを切れるようにありつつ、

建設的に光を組み立てることもできるようになったら

もっと写真はよくなっていけるはず。

 

 

表現したいものを、表現したいように撮れるようになるために

表現のためのテクニックをもっと増やしていきたいなと思うのでありました。

 

 

なんだか、学生時代の楽器の練習と通ずるところがやっぱりあるなあ。

 

練習を繰り返して、指と、口周りと、舌にテクニックを覚え込ませる。

 

身体をしっかり動かしつつも

頭をしっかり使って撮っていけるように

瞬間をもっとステキに切りとれるフォトグラファーになっていきたいものでありまする。

 

 

キラキラした人でいたいなあ。

 

 

人生は本当に愉しくて

世界は今日も素晴らしく美しいです。

 

 

そう思わせてくれてありがとう。

 

今日も会いに来てくださってありがとうございます。

(2本続けて書いた割にはどちらも少し長文になってしまった…)

 

 

あなたの新しい一週間もキラキラしたものでありますように!

 

 

それではきっと、また明日。

向き合う勇気。

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両親が旅行に出かけています。

 

可愛い可愛い孫のいるところへ。

 

その為家にはわたしひとり。

「ただいま」と言っても

「行ってきます」と言っても

なんにも返ってきません。

 

すごくあたりまえのことなのだけれど

 

ああ。ひとりだなあ。を感じています。

 

 

 

約2年前、わたしは東京から沖縄へ帰ってきました。

その時は俗に言う「心の風邪」を引く一歩手前だったので

もう、何も考えずに実家に転がり込んだのだけれど

 

 

ものすごく、ものすごーく

家族の存在に助けてもらいました。

 

 

これって、当たり前のことのように見られるかもしれないけれども

そうじゃ、ないんだよな。と。はい。

 

 

 

 

わたしは両親から溢れんばかりの愛情を注いで育てられてきました。

と、言っても、たぶん。それはどの家庭にもあるようなありふれたもの。

 

兄にもたくさん、姉にもたくさん。

そしてわたしにもたくさん。(2人に比べたらそれなりに手を抜かれたところもあるかもしれないけれど、それはなんというか末っ子あるある)

 

 

それなりにアルバムにはわたしの写真もあるし

とってきた賞状も結構飾ってくれています。

 

 

小さな頃は、やっぱり両親からの愛を独り占めしたくて

いろいろワガママも言ったかもしれないのですが

たくさんの兄弟に囲まれて育った特に母は、

「公平」「平等」をよく口にしていました。

 

どんなにわたしがたくさん賞状を取ってきても

兄や姉と同じ数を並べて、飾る。みたいな。

そんな母に育てられたことが、わたしにとっては結構誇りです。

 

(父は母と違ってちょっとずる賢いところもあるけれども

なんというか、バランスの取れた夫婦だな。と

微笑ましく思っています。)

 

 

 

今、わたしは結構心が満たされています。

 

安心して日々を過ごせる環境があります。

同時に、向上心を持って成長したいと思える職業を持っています。

迷ったときや、困ったときには話を共有できる友人もいるし

ジェラシーを覚える写真を撮っている仲間もたくさんいます。

そして、絶対的に味方でいてくれると思わせてくれる

とても大好きな家族がいます。

 

 

 

きっと、それだけで、とっても満たされた場所にいるのだと思っているのですが

 

同時に、ちゃんと甘えからも抜け出さないとな。と感じたりもします。

 

 

むむむー。まだ具体的なことは書けないのだけれど

沖縄あるあるの「いい年してでの実家暮らし」を

ちょっと卒業してみようかなと。

 

 

やーもー。だなんて言ってもたかだか同じ県内。

やってしまえばなんてことないんだろうとも思うのですが

家族大好きだからやっぱり寂しいなあ。って気持ちがありますね。笑

 

 

 

 

高校生の頃、何かの授業で書いた「未来予想図」では

わたしは高校の国語の教師になって、当時付き合っていた人と結婚して

女の子と男の子に一人ずつ恵まれて年に一度は家族で旅行をしている予定だったのでsダメだ文字が涙で滲んでキーが打てない。

 

想像通りにいかないから人生はおもしろいです。(前向いた)

 

 

本当は実家を出るのはパートナーが出来たとき、がいいなあと思っていたのですが

できそうもないのでもう少し自立することをちゃんと整えてみようと思います。笑

 

 

まだ、それまではすこし時間があるのだけれど

少しでも健やかに動くために、心と身体を整えていくための準備をしたいなあ。

 

 

 

は、いかん。昨日書くはずだった分のブログが書けていないので

今日はもう一本更新する予定なのでした。

これからポチポチと書き始めます。

 

変わりゆく日々を残すというのはすごく大切で

日々の振り返りをその日のうちに。をできたらいいなと始めたブログ(実は3回目)ですが

できなかったらできなかったで、ちょこっとくらいはこんな調整日を設けても

悪くもないかな。と思っているのであります。

 

(たまには自分にやさしく。)

 

 

 

そんなこんなで、今日は一旦このあたりで。

 

 

今日も会いに来てくださってありがとうございます。

 

 

みんなの一人暮らしのタイミングは何だったんだろう?

 

 

よければ教えてくださいな♪

 

 

それではきっと、またあとで。

 

 

 

ある登山家の思考。

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目の前に、山がある。

よくわからないけれど、ある日気がつくと

この山はわたしの目の前に現れた。

 

どどん。

 

山は何も語りかけてはこない。

けれど

何故だかわたしは登りたくなった。

 

何かに突き動かされる訳もなく

そこに誰がいるわけでもなく

山頂からの景色も想像できないままに

気づけば 既に一歩目を踏み出していた

 

「歩くしかないよなぁ」

 

偉人めいた思考もそこにはなくて

使命感があるわけもなくて

 

口に出た言葉はそんなものだった。

 

 

歩きはじめて少しして

ふと山頂の方へと目をやる。

 

頂には、見るからにそれだとわかるような

力強い、赤い旗が立っていた。

 

 

「ゴール。」

 

 

 

赤に書かれた文字を見て思わず笑う。

 

 

 

わかる。目を凝らさなくてもわかる。

 

だって

あの文字を書いたのはわたしだ。

 

 

そうか。そうだったな。

この山の、あの場所に行こうと

旗を立てたのはわたしだった。

 

 

そうか。もうここまで来たのか。

なんだか嬉しくなって

歩を進めようと背伸びをする。

 

ラジオ体操の要領で腰を撚ると

さっき、この山を見つけた

少し手前の場所が目に留まった。

 

 

「ゴール。」

 

 

月日の経過なのか山頂にあった赤よりは

鮮やかさに欠けるけれども

そこにも確かに力強く旗が立っていた。

 

 

もう一度笑う。

旗の文字は確かにわたしのものだ。

 

2つの旗を交互に見て

あの時よりも、強くなった心と身体を頼もしく感じる。

 

 

 

「歩くしかないよなぁ」

 

 

笑いながら放ったその言葉は

さっきよりも確かに、じんわり熱を帯びていた。

 

 

 

 

**********************

 

 

新人の教育をするとき、わたしはいつも、

「ゴールの旗を立てなさい」と話します。

 

 

どんなカメラマンになりたいのか

じっくり、自分と対面しながら。

恐いけれど、ちゃんと自分でそれを見つけなさい。と話します。

 

ブレない旗が立ったら、それは強いから。

迷ったり、わからなくなったときは、

いつもその旗を見て、進んで行ったらいい。

だって自分で立てられたゴールなのだから。

大丈夫。きっと辿り着けるよ。

の、意味合いを込めて。

 

 

日々を忙しくしていると

足を前へ動かすことだけに囚われて

「あれ。わたしなんで歩いてるんだっけ」

なんてわからなくなるときもあります。

 

そんなときは立ち止まって

顔を上げて旗を目に入れると

わたしの場合、安心するのです。

 

そうか、そうだったな。ゴールの旗はわたしが立てたな。

 

 

この山を越えたら、また山が待っているかもなあ。

 

 

人生は愉しい。

 

さて、歩きますか。

 

 

 

 

今日も会いに来てくださってありがとうございます。

 

昨日は疲れ果ててベッドにダイブしてしまって朝これを書いているわたしを許してたも…。涙

 

 

 

あなたの今日が、健やかな一日でありますように。

 

 

 

それではきっと、また今夜。

同じ空を見ている。

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信じたい気持ちが 心を強くするときがある。

 

きっと、あの人も頑張っているんだろうな。

きっといま同じ空の、同じ月を見ているんだろうな。

って

 

そうやって勝手に同じ空を見ながら

その空の下にいるあの人を思って

踏ん張れたりする夜もある。

 

 

大人になるっていうのは

「孤独だ」と自覚すること なんじゃないのかな。なんて思ったりもする。

 

どんなに長く居ても

どんなに近く居ても

 

「分かり合えない」と知っていて

でも だからこそ愛おしいと

思える人のことかもしれないな。なんて。思ったりもする。

 

 

 

むかし、遠距離恋愛をしていた頃

空に大きく輝く月を見ては その人を想い

 

「ねね、空見た?月さんきれい!」

だなんてメッセージをしては

(会いたいなあ)って気持ちを届けようとしていたな。

 

「わ、本当だ!すごいね。早く一緒にみたいね」

っていうお返事から

「ごめん。仕事してたら見そびれたよ」

なんて返しに変わってきた頃

 

きっとこの恋はもううまくいかないって気づいておきながらも

月がきれいなことを伝えずに居られなかった自分は

それでもやっぱり彼が大好きだった。

 

 

悔しいもので今でも

美しい月を見るとその人の顔が思い浮かんで来てしまう。

 

「月がキレイだよ。」を伝えてはいけない。って

その思考がわたしを囚えてしまっているからなんだろうな。

 

 

 

物や、コトに 共通の思い出が宿るとき

ニュートラルへ戻すためには

時間や意志が必要になってくると思う。

 

 

 

大人の人生はすごく孤独なものだけれど

例えばこんな夜を越えた積み重ねが

結果として「ひとり」を強くしてくれるのかもしれないな。

 

 

 

そこから月は見えますか?

 

 

 

 

同じ空を見ているあなたのことを

やさしく思い浮かべる人もきっといるはずです。

 

 

澄んだ冬空の群青のように

 

つよくなっていきたいな。

 

 

 

今日も会いに来てくださってありがとう。

 

 

 

今日は、月が、キレイだよーーーーー!!!!!

あたいはひとりで、進むかんなーーーーー!!!!

 

 

ちょっぴりおセンチな夜もあるさ。笑

 

 

それではきっと、また明日。

家族。

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家族の写真を撮らせていただいた。

着飾ったドレスやタキシードではなく

ちょっとお揃いテイストの

シンプルな、その人達の雰囲気の装い。

 

 

楽しかったなあ。

やっぱり、うん。家族は素敵だ。すごく。すごくね。

 

 

家族でなくとも、好きな人同士の間に流れる

あの穏やかで温かくてじんと胸が熱くなるような

そういう瞬間っていうのは尊いと思う。

 

 

そういう風に思っていたつもりだったけれども、

大人にならないとわからない感覚って

やっぱりあるよね。

 

 

わたしは想像しかできないけれど

きっとあっという間に大きくなって

あっという間に好きな人ができて

子どもだったその存在は

新しい家族を築き、親元を離れるんだろうな。

 

 

 

 

…やだ!!!!寂しい!!!!!!(想像です)

 

 

 

 

そう考えると 写真がもっと身近なものになるといいなあと思う。

 

 

いろんな面倒なことを飛び越えて

きっとそれはたくさん伝えてくれる。

その時確かにそこに流れた愛をね。

 

 

 

 

 

舌の奥の方に口内炎ができたことを父に話すと

「寝てないからだよ」とツッコんでくれた。

 

 

例えばたったそれだけのことにしても

わたしはものすごく愛を感じるなあ。

(もちろんもっとわかりやすい愛情表現もあります。笑)

 

 

 

つい、自分のモノサシで、

相手からの愛情表現を測ってしまいがちになるけれど

ちゃんと、相手なりのモノサシがあるってこと

今一度立ち返らないといけないなと思うのであります。

 

 

特別な記念日に送られるバラの花束よりも

毎日のありがとうの方が嬉しかったとしても

だからと言ってその花束を贈る行為を否定していいはずないものね。

 

 

なんでこんな話しになったんだっけ…

そうか!バレンタインだったからでございます。

 

 

バレンタインは毎年何かしらを手作りしているのだけれど

今回はイレギュラーの案件があって断念。

でも父と母とじいちゃん宛に、可愛いチョコレートを買ったのでした。

 

 

女性から男性に愛を伝えるイベント。っていう解釈は

日本だけなんでしたっけ?

 

老いも若きも男も女も

愛している人に愛を伝えてみんなハッピーになったらいいじゃないの。こんちくしょう。(ニヤつく)

 

 

 

来年は本命チョコをルンルンしながら こしらえているわたしでいますよーに!
(こしらえるってなんか日本昔話みたいだな。笑)

 

 

 

あなたのバレンタインはどうでしたか?

 

 

渡す人も、貰う人も

それってむちゃんこ幸せなことだと思う!!(大声)

 

 

 

特別な日であっても

そうでなくとも

素直に愛を、伝えられますように。

 

 

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

あかん。ネムミンの来襲だ。

 

 

 

それではきっと、また明日。