いいから黙って抱きしめろ。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

飽きと無限の豊かさについて

 

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飽きるのは自分の成長がとまっているから

なかなか簡単には手に入らないようなものほど欲しくなるものだ。

しかし、いったん自分のものとなり、少しばかり時間がたつと、つまらないもののように感じ始める。それが物であっても人間であってもだ。

すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。けれどもそれは、本当は自分自身に飽きているということだ。すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ、つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいということになる。

そうではなく、人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。

ニーチェ『悦ばしき知恵』

 

 

 

「飽きやすい」ということは、クリエイティブな世界に生きる人間にとっては、良いことだ。と言われたことがある。

 

昔の自分はその考えに触れたときに、単純に「なるほどな」と思った。

 

去年と飽きるから、今年の「当店冬のオススメ鍋」が変わるわけだし、

そうしていないと常連さんもきっと離れていく。(ある種の安定性はあったものとして。)

 

写真にしても流行りはやっぱりあるわけで。

それはまあ必要な変化かもなあと思ったりしていた。

 

 

今日、ふと、ある人の話で、上司と会話をした。

「もしかすると、飽きてきちゃっているのかもしれないです」

 

すると上司はひとこと

「でもまあ飽きることも必要なところもあるから」

 

そのときわたしは先の言葉を思い出した。

「クリエイティブの世界では飽きることは良いことだ」と。

 

でも、でもでもなんだかちょこっと、

本当にそれでいいのだろうか。と気になってしまったのだ。

 

 

帰宅して、ふと随分と読んでいなかった『超訳 ニーチェの言葉』に何故だか目がいって

 

パラパラとめくったページに一番上の言葉があった。

 

 

飽きるのは、自分の成長がとまっているから。

 

 

(わたしはどうだろう。)

 

気付きの言葉はいつだって自分へと返るブーメランのようだ。

 

 

 

日々の中に新しい発見をし、変化を楽しみ、そのワクワクを自身に掘り下げていけたのなら

きっとそれは飽くなき新しい日々への期待になる。

 

(わたしの好きな、素敵な珈琲屋さんの店主のように)

 

 

毎日の自分にワクワクしたい。

 

明日の自分にドキドキしたい。

 

世界が今日も美しいのは

それを探す眼と、心が健やかにあるから。

そしてそれを保つ意志があるから。

 

がんじがらめになるのは違うけれど、

行き当たりばったりだったり、外の世界に刺激を求めるのではなくて

内へ内へ掘り下げて深めていけるような生き方がしたいなあ。

人生は本当に無茶苦茶面白いと思う。

 

そう思えたときに、ひとつ 未来が見えた気がした。

 

 

自分のこころに、胸を張れる自分でいたいなあ。

 

わたしにとって、明日も自分を好きでいることは

簡単なようで難しく、

おざなりにしてはならない大切なことなのです。

 

 

無限の豊かさは自分にある

 

今年はもっと、自分を掘り下げよう。

 

ありがとうニーチェ

 

あたい寝るーチェ!

 

ワクワクしてお布団に入ったあの人を

心で抱きしめてあげられる明日でありますように。

 

 

それではきっと、また明日。