いいから黙って抱きしめろ。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

愛と無関心についての考察。

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マザーテレサが言ったらしい言葉に

ここ数年、何度もしみじみ思ったことがあります。

 

 

「愛の反対は無関心です」

 

 

聞いたことのある方も、きっといますよね。

 

 

 

愛の反対は憎しみではなく無関心なんですね、マザー。

 

 

深く深くそうだなぁと。こくこくと首を縦に振ります。

 

結局。

 

 

忘れられないあの人も

許せないあの人も

苛々してしまうあの人も

 

無視できないから気に触るわけで、

 

無視出来ていない時点でそこには関心があります。

 

もうそれは仕方ない。愛じゃないですか。悔しいけれど。

 

 

認めてしまえば楽になれるけれど、なかなかにそれが出来ないから踠きますね。

 

 

 

でもね、今日はその「感心」について。

 

結局のところ、わたしは関心の強い人が好きだなぁと思うのであります。

 

しかも、それは他人に対しても、自分に対しても。

 

関心が高いと、想像力が働くんじゃないかなぁ。

 

 

あの人ははて、しんどくないかな?

あれわたしなんでこんなに虚しいんだろう?

とか。

 

この「〜じゃないのかな?」って

 

わかります。考えても答えが出てこないこともあるって。

 

でもでも、

その想像力を働かせて悶々したからこそ

近づく考えが導くものが愛だと思うんですよね。

 

 

どこかに誰かの思いやりを垣間見た時

そこに愛を感じて幸せな気持ちになります。

 

そういうものって、日々を忙しく過ごしていると、見落としがちになってしまうけれど

 

どこかで今も誰かが

知らない誰かの心地よさのために

トイレットペーパーを三角折りしたり

 

咳き込む友人にさりげなく龍角散のど飴を差し出したりしている地球は

 

 

やっぱりすごく、愛に溢れた星だと思うのです。

 

 

しあわせな惑星に生まれたなぁ。

 

 

今日もどこかでこれを読んでくださって

本当にありがとうございます。

 

 

あなたの今日が、むちゃんこ頑張った日かも。

むちゃんこ心折れそうな日だったかも。

 

なんて想像しながら、最後までスクロールしてくれたことにありがとうございますを届けたいです。

 

 

あなたの頑張った今日を、わたしが抱きしめてあげよう。

 

 

お疲れさまでした!

 

ゆっくり休んでくださいね。

 

 

それではきっと、また明日。