いいから黙って抱きしめろ。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

走りながら花は愛でられるのか。

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なりかはいつも走り回ってるよね。

 

とかって、結構本当、よく言われる。

 

やや、走るのが好きとか、気持ちいいとかがあるわけじゃないけれど、

 

気がつけばいつも  うん。そんな感じで走っている。(ような気がする。どうだろう?)

 

 

走るのは楽しい。

「走ってこい」って、言ってもらえるのも嬉しい。

「頑張れー!」って応援してもらえることも有難いし

「走ってる樹利佳かっこいいよ!」って言ってもらえるのもむちゃんこ嬉しい。

 

それは本当、もしわたしが走っているのなら、それはみんなに走らせてもらえているからなのです。

 

 

本当に有難いと思う。

 

 

 

走るのは1人では走れない。

走らせてもらえる環境があるから走れる。

それはわかっているつもりだけれど。

 

けど、けれども。

 

同時にいつも、

 

「ゆっくりと歩くこと」への憧れがある。

 

 

本当はゆったりと光を感じて、

朝露を裸足で踏みしめて

金木犀の香りを感じて

名もなき花にときめいたりして

窓から聞こえる習いたての和音にドキドキしたり

深呼吸したりしながら

丁寧に、大切に時を過ごしたいと思う。

 

いちにちの中の誰かの言葉に愛を垣間見て

 

ああ今日も世界は美しいなと歓びたいと思う。

 

 

 

今日、わたしを走らせてくれている人と話をした。

 

長い時間。

とても尊敬する人はわたしに、新しいその先へ走ろうと話す。

 

わたしは返す。

 

走らせてくれてありがとう。

けれどもわたしは走りながら、何度も美しい花をみつけては、「立ち止まり愛でたい」と望みながら

それができずに哀しい気持ちになってしまう。

 

わたしは歩きたい。

もう少し、自分のペースで、歩く時間を作りたい。と。

 

 

その人は返す。

 

「でも、キミはその花を見ているじゃない。走りながらその花を踏むこともなく、きれいだと思えているじゃない。

キミなら走りながら花を愛でられるよ。

行こう。走ろう。」と。

 

 

 

自尊心が低い自覚のあるわたしは

つい、居場所を求めてしまう。

 

誰かに必要とされることに安心感を覚えてしまう。

 

 

今日のこの時間はとてもとても濃い時間だったけれど、なんだかひとつ、悩みが増えてしまったなぁ。

 

 

 

何かしらの答えを出して、いちにちを締めくくれたら良いのだけれど

 

今日のこれは新しすぎる見解で

やっぱりまだ、うまく消化できそうにない。

 

 

走りながら花は愛でられるだろうか。

 

わたしの望む明日はどこだろう。

 

 

たまにはぐるぐる悩むわたしの

進行形を共有なう。です。

 

 

 

あなたの今日は、ワクワクしてたかな。

 

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとう。

 

 

 

あなたに会えるのが、わたしはいつも、すごく嬉しい。

 

 

それではきっと、また明日。