いいから黙って抱きしめろ。

ただいまとか おやすみとか 愛しているよとか。

優しさと他者への関心の低さについて。

f:id:hug89hug:20170206232423j:plain

 

 

「やさしい人が好き。」

なんて言うことを

異性の好みについて話すときに、それなりによく聞く。

 

 

先日、とある男性と話す機会があったのだけれど

そのとき、彼は その「やさしい人」っていうのは

ちょっと危うさを孕む可能性がある。

ということを教えてくれた。

 

 

 

やさしいってなんだろう。

ってところがまず、定義付けしづらいのだけれど、

 

 

そうだなあ。

「そんなに怒らない」とか、「受け入れてくれる」とか

ざっくり言うとそんなところだろうか。

 

 

けれども、

それはもしかすると

「他者に対して関心が低い」ってことと類義しているかもしれないよ。

と、

その人は教えてくれたのだった。

 

 

なるほど。と、ふむふむした。

 

 

嫉妬したり、束縛したり、っていうのは

正直するのもされるのもしんどい感情だし

期待したり、落ち込んだり、っていうのも

感情がもってかれちゃうからお腹いっぱいは いらないな。って思ったりする。

 

 

何よりそれは疲れる。

 

 

 

けれども、

できればそういう感情とも

上手な距離感で関わっていけたら素敵だし、

分かり合えない他人と関わる。ということも

それはそれで人生に於いてすごく

尊いことだとも思うのであります。

 

 

 

 

 

 

そういえばわたしは過去に、

「人に期待しない」というタイプの人と

お付き合いをしたこともあったのだれど

 

その人はどちらかと言うと、生きるためにそういう思考を会得した。

っていう印象のひとだったなあ。

 

 

 

 

お誕生日プレゼントも買わないし、欲しくない。

期待値を下回ったときが大変だから、そもそも他人に期待しない。

 

みたいな。

 

 

はじめのうちはそれはまあそういうタイプの人なんだな。

程度に思っていたのだけれど

付き合うにつれて

「あ、この人はわたしや、わたし以外の他の人よりも、

 自分自身にしか興味がないんだな」

と感じていってしまってなんだかすごく寂しかったのである。

 

 

 

 

 

無いものは、ある、にできないし

ゼロからイチを生み出すことは、やっぱりすごく大変。

 

 

 

でも、だからこそ、

 

そういう「淡白」タイプの人から浮き上がる表層部分のものではなくて

誰かの痛みや苦しみに寄り添えるような種類の優しさを

 

きちんと見られる人でいたいな。と

改めて思った夜なのでした。

 

 

 

 

沖縄ではいま、コスモスが見頃です。

 

 

 

摘んで帰ったら、キミは喜んでくれるかもしれないって

 

そういうやさしい微笑みをたたえるひとであれたらなあ。

 

 

 

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

やさしさの背後に

強さを宿した笑顔を持てたらすてきだね。

 

 

それではきっと、また明日。